落語家でもあり、お笑いタレントの笑福亭笑瓶(しょうふくてい しょうへい)さん。何といってもべっこう柄の黄色っぽいメガネが絶対的なトレードマークですよね。猿顔のキャラクターとにこやかな笑顔でギャグを言っている姿が印象的です。
今ではとても有名な方ですが、どのような過程を経て、現在のポジションを得られたのでしょうか?写真と共に、これまでの生い立ちなどを振り返ってみたいと思います。
目次
笑福亭笑瓶の若い頃は?【画像あり】
- 本名:渡士 洋(とし ひろし)
- 誕生日:1956年(昭和31年)11月7日(現在64歳)
- 出身:大阪府大阪市
- 血液型:O型
- 身長:168cm
- 体重:64kg
- 学歴:苅田小学校→我孫子中学校→興国高等学校→大阪芸術大学芸術学部文芸学科
- 入門年月日:1981年(昭和56年)9月
- 師匠:笑福亭鶴瓶
- 弟子:笑福亭笑助
- 紋:五枚笹
- 出囃子:魔法使いサリー
- 所属:太田プロダクション
- 趣味:ゴルフ、家具、テレビゲーム、エアガン、競馬
- 特技:ガンプレイの早撃ち、サッカー
上記の写真は幼少期の笑福亭笑瓶さんです。とってもチャーミングですね!今を知っているだけに写真を見るとなんだか笑ってしまいますが、この頃からお笑いのセンスがあったんでしょうか?
こちら↓は小学生の時でしょうか。
高校生の頃の写真はこちら↓。髪は長いですが面影がありますね。
こちら↓は34歳の時だそう。あまり10代の時から変わっていませんね。
調べてみると子供の頃のエピソードはほとんど出てきませんでしたが、高校時代のエピソードはTVでも取り上げられているのでみていきましょう。
笑福亭笑瓶の生い立ちは?
元々は落語家ではなく役者志望だった?
若い頃から役者志望で、高校在学中には「スクールメイツ」(「(有)東京音楽学院」の選抜メンバーで構成された芸能グループ)に入団します。
また石原プロに自身の売り込みのはがきを多々送っていたというエピソードもあります。昔から「役者になりたい!!」という強い気持ちがあったのですね。
笑福亭鶴瓶の一番弟子
笑福亭鶴瓶(しょうふくていつるべ)さんは笑瓶さん以外に実は15人の弟子を取っていますが、一番弟子となったのは誰でもない笑福亭笑瓶さんなのです。
落語家の鶴瓶さんのラジオ『MBSヤングタウン』に一目ぼれをします。1981年に鶴瓶さんに弟子入りして芸能界入りを果たします。
笑福亭笑瓶が役者志望だった素人時代、石原裕次郎宛に「『太陽にほえろ!』に、大阪訛りでサンフランシスコ帰りの新人刑事役として出させて欲しい」と手紙を送ったけど、全く採用されなくて、仕方なく笑福亭鶴瓶に弟子入りしたって話好き。
— TA-KA (@hakaima_taka) August 9, 2021
笑瓶さんが弟子入りをした当初は、鶴瓶さんは落語をほとんどしておらず、大阪のタレントとして活躍していました。
弟子入りにあたりこんなやりとりがあったようです。
鶴瓶さんの妻にはすぐに認められたそうです。その後鶴瓶の大師匠の笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)さんと対面します。
笑瓶さんも元から落語をやる気はないし教えてもらう気もなかったため、弟子入りにあたって特に問題は起こらなかったそうです。「落語家なのに!?」と思わず突っ込みたくなりますが(笑)、このやり取りだけでもお二人らしいあたたかさを感じますよね。
大阪人らしく「人を笑かすのが好き」というスタンスが大師匠にも気に入られたんでしょうね。
お笑いタレントとしての人気ぶり
鶴瓶さんの付き人としてタレント修行する中で『突然ガバジョ!』やラジオ番組「ヤングタウン土曜日」(毎日放送)でレギュラー出演者に抜擢されます。お笑いタレントとして活動を始め、数々の番組に出演し、関西での人気は揺るぎのないものとなっていきます。
1987年(昭和62年)に拠点を東京に移し本格活動してきた頃、共演者の山田邦子さんと片岡鶴太郎さんに太田プロダクションへの移籍を誘われます。
芸能事務所の移籍は通常は簡単には行われるものではありませんが、師匠の鶴瓶さんと松竹芸能の粋な計らいで、その後干されたりすることもなく、スムーズに移籍ができたそうです。
ものまねで知名度を獲得
『鶴ちゃんのぷっつん5』(日テレ)のウィッキー役や、『ものまね王座決定戦』(フジテレビ)の「魔法使いサリーのよし子ちゃん」など、面白さを追求したものまねを披露し、一気に全国での知名度を得ました。特に中高生からの人気は絶大なものでした。
https://www.youtube.com/watch?v=qSgik83pq-o
1990年代からはダウンタウンの番組にゲストとして多数出演しています。
浜田雅功さんに「メガネ」と呼ばれ突っ込まれる関係ですね。プライベートでもとても仲が良いみたいです。写真からもいつも楽しそうな雰囲気が伝わってきますよね。
ダウンタウンの番組で「ショウヘイヘーイ」や「ショウフクテーイショウヘーイ」という鉄板ギャグも生まれました。
落語家としての活動は
これまでお笑いタレントとして活躍してきた笑瓶さんですが、2000年からは師匠の鶴瓶さんと共に落語家として本格始動していきます。
というのも師匠の鶴瓶さんが「六人の会」などの活動から落語に目覚め、一門で落語会なども開くようになり、弟子の笑瓶さん自身も落語を勉強せざるを得なくなったそうです。
1997年には弟子に笑福亭笑助さん(吉本興業所属)を迎えています。自身で教えられることが限られているためなのか、噺はもっぱら古典落語家4代目林家染丸さんに学ばせているとの話もあります。
現在の活動としては、一門の落語会や弟子の笑助さんとの親子会で口演するほか、天満天神繁昌亭の定席にも不定期で出演しています。
演目 自作の新作落語(私落語)
- 「横山大観」
- 「ある日の六代目」
- 「一日早い死神」
- 「レトロミュージアム」など
※古典落語は口演していません
「笑福亭という屋号の重さ、物語で笑いを届ける落語という話芸の素晴らしさを実感している」と『上方落語家名鑑ぷらす上方噺』制作時の取材で答えています。
急病を患った後の活動は
2015年12月29日、後輩芸人の神奈月と2人で千葉県内のゴルフ場でプレー中に、背部に急激な激痛を訴え、ドクターヘリで緊急搬送されます。のちに急性大動脈解離だったと発表されました。医師から「もう少し遅かったら危なかった」と言われたそうです。
命にも関わる大変な病気ですが、幸い笑瓶さんは無事に治療を終えて、2016年1月19日に仕事復帰します。
しかしその後メディアへの露出が減ったことから、「消えた?」「干された?」と噂が飛び交いました。しかし実際はそんなことはなく単なる噂でした。
体調を崩した後なので無理のない範囲で都内での仕事を行っており、長時間の移動が伴う関西方面のテレビ番組出演が減少したり、長丁場の収録が予想される特番にもあまり出演しなくなったのだと思われます。
最近の活動は
現在は、TVではバラエティ番組や情報番組など、レギュラー番組を持ち活躍中。
そして11月から始まったNHKの朝ドラ『カムカムエヴリバディ』にも映画館館主役で出演されています。初めての朝ドラ出演になります。
取材で「短いセリフでもかむかも。噛んだらごめん。久々のドラマなので、迷惑をかけないようにしたいと思います」と意気込みを語っています。
ドラマで拝見できるのもとっても楽しみですね!!
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まとめ
- 高校生の頃から役者になりたい強い想いがあった
- 笑福亭鶴瓶の一番弟子となる
- 最初はお笑いタレントとして人気を博して活躍
- その後は落語家としても活躍中
- 急病を患ったが回復、その後もTVなどで活躍中
若い時からお笑いの世界を盛り上げてきたんですね。40〜50代にとって「ショウヘイ」といえば、大谷翔平さんよりも笑福亭笑瓶さんを思い浮かべる人が多いほどの人気者だったようです。
現在朝ドラにも出演中なので、ドラマにも今後の活躍にも期待したいですね♪
最後までご覧いただき、ありがとうございました。