俳優の早乙女太一さん、現在は映画やドラマで活躍されておりテレビで一度はご覧になられたことはあるのではないでしょうか。
そんな早乙女太一さんは映画やドラマで活躍する以前に子供の時からされていたことがあるのはご存じですか?子供時代のエピソードと共にどう成長されてきたのか調べてみました!
目次
早乙女太一さんはどんな人?
早乙女太一さんプロフィール
- 本命:西村太一
- 生年月日:1991年9月24日
- 出身地:福岡県北九州市
- 身長:174cm
- 血液型:B型
- 事務所:LDH
大衆演劇の劇団、劇団朱雀の2代目です。
2013年に女優でファッションモデルの西山茉希さんと結婚しました。
その後長女、次女が生まれていますが2019年に離婚しています。
同じ事務所にはこんな方がいらっしゃいます↓
早乙女太一さんの家族は?
葵陽之介(父)
本名は、西村太志さん。福岡県の北九州出身。
葵好次郎座長に憧れて入門し、17歳で舞台デビューしています。
1987年に「葵劇団」に入団し、2003年「劇団朱雀」を立ち上げました。
鈴花奈々(母)
本名は、西村弘美さん。福島県出身。
14歳で舞台デビューしています。
夫の葵陽之助さんとは10代のころの遊び仲間だったようです。
早乙女友貴(弟)
本名は、 西村友貴さん。
1996年5月14日生まれで早乙女太一さんとは5歳差です。
1歳半で舞台デビューをされ、今現在は兄と同じく俳優をされています。
2017年に元SPEEDの島袋寛子さんと結婚しています。
鈴花あゆみ(妹)
本名は、西村あゆみさん。
2001年12月19 日生まれ。3歳から舞台デビュー。
早乙女太一さんとは10歳も歳の差があります。
そのため、赤ちゃんの頃は早乙女太一さんにお世話をしてもらっていたようです。
そして家族全員劇団員で劇団朱雀を運営しています。
早乙女太一さんは5人家族で3人兄弟の長男なんですね。
弟、妹も幼いころから舞台に立ってますし、兄として兄弟の面倒や日々稽古でたいへんだったのではないでしょうか。
そんな劇団員の両親のもとに生まれた早乙女太一さんは、どんな生活をおくっていたか見てみましょう。
早乙女太一さんの生い立ちは?
劇団員の両親の子供として生まれた早乙女太一さん。必然的に幼少期から劇団員として育てられました。
舞台デビュー
1995年に初舞台を踏みまして当時4歳でした。
幼い頃から父親に稽古をつけてもらっており、その稽古がとても厳しかったそうです。
殴る蹴るは当たり前で、プロとして厳しく育てられてきました。
そのせいもあって幼少期はほとんどしゃべらず、笑うことなく、感情を押し殺してきたそうです。
学生時代の生活
大衆演劇は昼と夜の1日2回公演で、毎月場所を変えて公演を行っていた為、学生時代の早乙女太一は毎月転校を繰り返していました。
早乙女太一さん自身も演劇出演をしていた為、2~3時間目まで授業を受けて帰宅し、1日2回の公演に出演し、公演後は舞台稽古、朝になるとまた登校というスケジュールを送っていたそうです。
そのためもあってか、小学生の頃は普通に話していましたが、中学生にあがると全く話さなくなり無口で大人っぽくなったそうです。
そして、舞台を中心に俳優として生きていく決意をしたため、高校・大学は進学していません。
なかなかハードな学生生活でしたね。舞台にでてますし学生ですがどちらかというと社会人のような生活してたんだなと思いました。
天才女形として注目を浴びる
10歳のときに女形をはじめ、2003年に出演した「座頭市」で”天才女形”として注目を集めます。当時12歳です。
左の女の子役が早乙女太一さんです。
小学生の頃から役者としてビートたけしさんに目をつけられていたようで、きっと早乙女太一さんになにか光るものがあったのでしょう。
ビートたけしさん監督の映画に出演したのをきっかけにテレビで注目されるようなり、なんと2006年に公認のファンクラブができたそうです。
「流し目王子」と呼ばれる
15歳の早乙女太一さんは「流し目王子」と呼ばれ注目の的でした。
中高年のファンが多い大衆演劇ですが、この妖艶な姿から若い女性も虜にしていました。
“流し目王子”と報道されていることに関しては聞かれると
と苦笑で話しています。
この頃は思春期真っ只中ですので、恥ずかしい気持ちもあったのではないでしょうか。
それにしても、15歳とは思えないほどの色気がありますね。お美しいです。
史上最年少で新歌舞伎座で座長を務める
2008年、16歳になったばかりのとき新歌舞伎座で座長を務めます。
と多くの報道陣を前に驚きながらもしっかりとした口調で話しています。
これは、当時史上最年少記録だったようで、それ以降、テレビや舞台、映画など多方面で活躍するようになります。
しっかりしているのは、プロとして育ってきたことがわかりますね。
舞台・映画・ドラマに引っ張りだこ
それからは舞台はもちろん映画、ドラマと活躍しています。
映画
- 少年H(2013年)
- クローズEXPLODE(2014年)
- KABUKI DROP(2016年)
- HiGH&LOW THE MOVIE(2016年)
- HiGH&LOW THE RED RAIN(2016年)
- HiGH&LOW THE MOVIE 2 / END OF SKY(2017年)
- HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION(2017年)
- 22年目の告白 -私が殺人犯です(2017年)
- たたら侍(2017年)
- BLEACH 死神代行篇(2018年)
- 泣き虫しょったんの奇跡(2018年)
- 孤狼の血 LEVEL2(2021年)
ドラマ
- ドラマ新参者 (2010年)
- 獣医ドリトル (2010年)
- 黒の女教師 (2012年)
- 信長協奏曲 (2014年)
- ふたがしら(2015年)
- 天使と悪魔-未解決事件匿名交渉課- (2015年)
- HiGH&LOW〜THE STORY OF S.W.O.R.D.〜(2015年)
- 信長燃ゆ(2016年)
- ふたがしら2(2016年)
- 忘却のサチコ (2018年)
- コールドケース2〜真実の扉〜 (2018年)
- 東京独身男子 (2019年)
- リモートで殺される(2020年)
型にはまらず様々な役に挑戦されていますね。演技に貪欲で素晴らしいと思います。
早乙女太一さんの子供時代のエピソード
では、父の厳しい稽古、毎日の舞台、転校ばかりの子供時代ですが、どんなことがあったのか詳しく見ていきましょう。
歯医者さん
早乙女太一さんが幼いころに歯医者に行った時のことです。
怖かったのでしょうが涙を目にいっぱいためているのに泣かないで耐えていたそうです。
そんな早乙女太一さんを見て歯医者さんが驚いたのか違和感を覚えたのかで母親に伝えると、母親は幼い早乙女太一さんに可哀想な思いをさせていたことに気づいたそうです。
歯医者さんは、泣くことを我慢することを幼い子ができることが珍しかったのでしょうね。
厳しいしつけや稽古でこれまで何度も感情を押し殺してきたことがわかりますね。
家出少年?
たくさんの転校、1日2回の舞台、厳しい稽古の日々の暮らしに、12歳のころ演じることが嫌になって、お客さんが渡してくれる「おひねり」をくすねて家出しようとしたことがあったそうです。
とインタビューで語っていました。
映画「座頭市」でテレビで取り上げられてる時期ともかぶりますし、ますます忙しくなった時期だったんではないでしょうか。
お世話になった人の顔が浮かぶあたり、厳しい環境だったと思いますが、優しい心で育ってきたんだなと感じます。
仲良い友達?
ある学校で「すごく仲良くしてくれる子」ができたそうで、公演を行っていた健康ランドに友達を誘って、昼と夜の2部公演の間の休憩時間に、楽屋でテレビゲームをして遊んでいたそうです。
早乙女太一さんは舞台のため、友達をおいて
こんな会話をしていたが、舞台後友達は待っておらず、しかも部屋にあったゲーム機がすべてなくなっていたそうです。
次の日、
こんなことがあり、「もう二度と友達なんてつくらねえ」と思ったそうです。
「学校生活はぜんぜん楽しく無かった」とも思っていたそうです。
短い時間しか学校にいないので、仲良くなった友達ができたのは嬉しかったと思います。
ですが、こんなことになってしまったので大変ショックだったでしょう。
大変な生活を送ってこられたので、学生時代の友達との楽しい思い出が知りたかったですね。
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まとめ
- 劇団員の両親の子供として生まれ、必然的に幼少期から劇団員として育った。
- 舞台デビューは4歳!
- プロとして厳しく育てられた幼少期だった。
- 「座頭市」で天才女形として注目され、「流し目王子」と呼ばれ親しまれた。
- 当時史上最年少で新歌舞伎座の座長を務め、テレビや舞台、映画など多方面で活躍するようになった。
普通の学校生活を送ることが難しい業界で、さらに厳しい稽古の日々で大変な子供時代でしたね。
そのなかで自分のやりたいことを見つけて、今現在活躍されてることが素晴らしいことだと思います。
これからも活躍を期待しています。