現在、様々なメディアへの出演で我々視聴者も目にすることが多い村雨辰剛(むらさめ たつまさ)さん。顔もイケメンで体もムキムキな村雨辰剛さんですが、その中で一番驚くのが「日本語が上手い」ということではないでしょうか。
「どうしてこんなに日本語が上手いの?」「上手に日本語を話す村雨さんは何者?」といつの間にか村雨さんの興味を持っているという人もいるでしょう。
ここでは、村雨さんの日本語が上手な理由、どのような方なのかを見ていきましょう。
目次
村雨辰剛さんは、どんな人なのか?
このとてもハンサムで和装を着こなしている方をご存じでしょうか?知らない方のためにもまずは簡単なプロフィールから見ていきましょう。
- 名前:村雨 辰剛(むらさめ たつまさ)
- 誕生日:1988年 7月25日
- サイズ:身長182cm B.101W.78H.96
- 出身:スウェーデン
- 職業:庭師
- 趣味:筋トレ 肉体改造 盆栽
趣味が筋トレということでピンときた方もいるかもしれません。
そうです!村雨さんは、一時話題にもなったNHK「筋肉体操」に出演し、2018年の「紅白歌合戦」にも武田真治さんと一緒に出演しています。私は、見ていて衝撃を受けました。筋肉と歌の異色の組み合わせに魅了されたことを今でも覚えています。
しかし、多くの人が気になっているのは、見た目は外国人なのに日本風の名前という部分ではないでしょうか?この関係についてはこれからお話していきます。
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村雨辰剛さんの日本語が上手いと話題に!
村雨さんは、これまでにもバラエティー番組をはじめ様々なテレビに出演しています。そして、NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」の主演も決まっています。
テレビに引っ張りだこな理由として一番に挙げられるのは、「日本語の上手さ」でしょう。そこで、ここでは、どれほど日本語が上手いのかを見ていきます。
https://youtu.be/YjmNFcODZlQ
言葉遣いも丁寧で日本の歴史であったり難しい言葉を使っていたりと日本語の上手さに圧倒されますね~
村雨辰剛さんの日本語が上手いという世間の声
村雨さんの日本語について実際のところ日本人の方たちはどのように感じているでしょうか?
村雨辰剛さん、めちゃ日本語 上手❗️#ダウンタウンDX
— rose (@hiro_818_rose) March 14, 2019
それにしても、村雨辰剛さんのきちんとした日本語、どこで身に着けたのだろう。お見事。 #tvtokyo
— りよま (@loconon) June 23, 2020
村雨辰剛さんマジで尊敬してるんですけど、きっかけは彼の話す日本語。
なんて言うのかな、日本語の「間」まで習得している。外国語を勉強する人だったらこの凄さは分かるはず。努力家なんだなぁ— ネムケサンドロス (@wanabe_odoruaho) April 20, 2020
多くの方が村雨さんの日本語に驚き感心していましたね。もちろん日本語もすごいのですが、日本語を勉強した村雨さんの人柄という部分にも賛辞の声が多く挙がりました。
村雨辰剛さんの日本語が上手いのはなぜなのか?
では、なぜこんなにも日本語が上手いのでしょうか?その理由を調査してみるとそこには、村雨さんの日本への愛がありました。
理由5つと合わせてご覧ください。
村雨辰剛さんの日本語が上手い理由その①:幼少期から日本に興味があった
元々歴史が好きだった村雨さんですが、中学生の時に日本の戦国時代武士道に魅せられ、日本に興味を持ち始めました。
日本語を習う場所はなかったので、パソコンで日本のテレビ番組や映画を観たり、チャットで日本人と交流するなど独学で日本語を覚えたそうです。
16歳の時には3か月間日本にホームステイし、帰国後はずっと「いかに日本に住むか」を考え、日本語を勉強し続けたそうです。
10代の頃から持っていた日本への熱い愛が、日本語上達の基礎を作ったといえるでしょう。
そして、高校卒業後、村雨さんは語学教師として日本に移住しました。
10代の頃に抱いた思いをずっと持ち続けることもすごいですよね。
村雨辰剛さんの日本語が上手い理由その②:日本の造園業に弟子入りしたから
日本の伝統に携わることがしたいと考えた村雨さんは、紆余曲折ありつつ造園業に弟子入りをすることになりました。
僕は、スウェーデンから日本へ19歳の時にやってきた。語学関係の仕事をしていました。しかし、日本の伝統に関わる仕事がしたく「庭師」になり、26歳の時に日本人にスイッチしました。#スイッチしよう #天然水スパークリング #sponsored https://t.co/6RYuOFr8Qf pic.twitter.com/J1jURtW5pV
— 村雨 辰剛 (@MurasameTatsu) February 26, 2019
そこは、大好きな日本の美学に触れながら、朝から晩まで親方に付いて生活を共にする環境で自然と日本語に触れることができました。そういった環境で過ごしたことで身についていったのではないでしょうか。
また、この環境から「礼儀」や「綺麗で丁寧な日本語」を学べたのでしょう。
村雨辰剛さんの日本語が上手い理由その③:日本に帰化したから
2016年に村雨さんは日本に帰化しました。そこで現在の「村雨辰剛」という名前になりました。
しかし、日本人になったことは、村雨さんにとって日本語を自然に話すということは特殊なことではなく、話せて当たり前なのではないでしょうか。
村雨さんご本人は当然と思っていることを、周りの日本人が驚いているだけなのかもしれませんね。
いやそれにしてもここまで綺麗に話すのは日本人でも難しいかもしれませんね。
村雨辰剛さんの日本語が上手い理由その④:日本の伝統を伝えたいという強い思いがあるから
造園業で働く中で村雨さんは、日本人の日本文化への関心が無くなり伝統が消えていくことに危機感を覚えたそうです。
SNSで弟子入り生活を紹介したところ反響があり、村雨さんは「自分がメディアに出て日本の伝統を発信していきたい、日本の美学を守りたい」と考えました。
こうして、積極的に表に立って語る機会が増えたことで、村雨さんの日本語はさらに流ちょうになったといえるでしょう。
確かにいろいろ便利なものが出てきた現在、最新のものを求めるあまり、私も日本の伝統に触れていなかったなと思いました。まずは、一番好きな日本の食べ物から触れていきたいなと思います!皆さんも興味のあるものから触れてみてください。
村雨辰剛さんの日本語が上手い理由その⑤:「不退転」の精神から
村雨さんの好きな日本語のひとつが「不退転」だそうです。
「不退転」とは元々仏教用語で「信念を持ち、何事にも屈しない」という意味です。
武士道にも通じるこの精神こそが、村雨さんをここまで押し上げたのではないでしょうか。
子供の時に持った「日本の武士の美学が好き」という思いから現在の姿にまでなるのは、並大抵のことではありません。
村雨さんを見ていると、日本人が学ぶべきものが多くあるように感じます。
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村雨辰剛さんの両親はどんな方?そもそも出身地はどこなの?
ここまでで村雨さんの日本語が上手いということは十分に伝わったのではないでしょうか。
その魅力が伝わったことで村雨さんはどのような親御さんに育てられたのか、そして日本に来る前、帰化する前の出身地について見ていきます。
村雨辰剛さんの両親について
まずは、村雨さんの両親について見ていきます。名前を見て「両親は日本人なの?」と思った方もいらっしゃるのではないのでしょうか。
村雨さんの両親はお二方ともスウェーデン人です。しかし、両親は離婚していて、実母と義父に育てられました。
離婚したからといって家族関係が悪いという訳ではなく、義父は真面目で正義感があり、尊敬する憧れの存在と村雨さんも語っています。実の父は頑固で自由な生き方をする人らしいですが、隔週会っていたらしいです。
幼いころは、日本とは無縁の生活をしていました。普通にスウェーデンで生まれ育ち、スウェーデン国籍のスウェーデン人の両親に育てられたということです。
ですので、実母と実父、義父も日本人でなく、スウェーデン国籍の方です。
村雨辰剛さんの出身地について
村雨さんの出身地は、スウェーデンのスコーネというところです。スウェーデンの中でも南部にあり、スイスに近いところです。
当然ご両親も同じところに住んでいます。
スコーネというところは写真にあるような古城が多く残っています。行った際は、古城巡りをしてみてはいかがでしょうか。
村雨辰剛さんの出身地と現在の名前の関係について
村雨さんの国籍は、もともとスウェーデンでしたが、今は日本になっています。
2015年、26歳の時にスウェーデン国籍を日本国籍に変え、日本人になりました。その際に、新たな名前を授かりました。
「村雨辰剛」という名前は、庭師の親方に弟子入りして修行をしたときにもらった名前です。自分で、自分の名前を付けるというのは、抵抗があり、親方に頼みん込んで名前を付けてもらったみたいです。
- 「村雨」…昭和の有名作家の村雨退二郎から名字をとった
- 「辰」…1988年生まれの辰年だから
- 「剛」…親方の名前の一文字を拝借した
尊敬する師匠に付けてもらった名前ということですね。親方と良い関係性なんだなーと思わせるエピソードですね。
まとめ
- 日本への熱い思いから日本語を勉強
- 日本語を学ぶ環境が整っていた
- スウェーデン出身で現在は日本に帰化
村雨さんは、小さなころに抱いた日本への思いをずっと持ちつづけ、それが日本語習得のモチベーションになっていたのだなと感じました。
これだけ一生懸命に日本の伝統を伝えようとしてくれるのですから、その思いに我々も何か応えたいですね。