2021年9月現在、自民党総裁選に出馬し、惜しくも当選を逃した河野太郎ワクチン担当相。彼の祖父、河野一郎さんと父親である河野洋平さんは共に政治家であり、生粋の政治家一家として生まれました。
実は河野洋平さんは過去にC型肝炎という病を患っており、かなり病状は進行していたようですが実の息子である太郎さんから肝臓移植を受けたことにより一命を取り留めていました。
移植を受け、現在は何をしているのか、どのような病気だったか、移植に至るまでの経緯をご紹介したいと思います。
目次
河野太郎の父、河野洋平の現在
プロフィール
名前 | 河野洋平(こうの ようへい) |
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生年月日 | 1937年1月15日 |
年齢 | 84歳(2021年10月現在) |
出身地 | 神奈川県平塚市 |
大学 | 早稲田大学政治経済学部経済学科 |
河野洋平さんは、副総理大臣を務めた事もある河野一郎さんの次男として生まれました。
1959年に大学を卒業した後は社会人として働き、日本ナスカー株式会社という会社で副社長を務めた事もあります。
その後は米国のスタンフォード大学に留学したり、ニチリョウの社長を務めたりと華々しい経歴をお持ちです。
父だけでなく親族にも政治家が多い家系なのですが、自然と政治家を志すようになるものなのでしょうか。父の河野一郎さんが1965年に亡くなったのですが、その2年後に第31回衆議院議員総選挙に初出馬し、トップで当選しました。若いときは「自民党のプリンス」と呼ばれていたそうです。
2009年に政界を引退されましたが、それまでに以下のような役割を担ってきました。
- 衆議院議員(14期)
- 衆議院議長(第71・72代)
- 副総理(村山内閣・村山改造内閣)
- 外務大臣(第123・128-131代)
- 内閣官房長官(第55代)
- 科学技術庁長官(第39代)
- 原子力委員会委員長(第39代)
- 自由民主党総裁(第16代)
- 新自由クラブ代表(第1・3代)
父の後を継ぐのも相当なプレッシャーだったと思いますが、これ程の歴任ならば河野一郎さんも鼻が高いのではないでしょうか。
↓河野太郎さんについて知りたい方はこちら↓
現在
現在の居住地は生まれた平塚市からは少し離れ、神奈川県小田原市成田にある豪邸に住んでいるようです。
また、2009年に政界を引退した後は母校である早稲田大学で毎年講義を行ったり、在学中は競争部に所属していたことから、毎年行われる箱根駅伝で早稲田大学の生徒を中継所やゴール近くで待っているらしく、度々その姿が目撃されています。
お早う御座います。昨日の箱根駅伝は、3、4、5区で区間新記録。目まぐるしく順位が変動しながら、東洋大学が往路新記録で優勝するという大変レベルの高いレースとなりました。
今年も選手たちの力強い息づかいを感じながら、小田原中継所で応援です。河野洋平先生にもお目にかかることができました pic.twitter.com/XcV8XSwnTb— 中西けんじ 衆議院議員・自由民主党神奈川三区(鶴見区、神奈川区)支部長 (@Kenji_Nakanishi) January 2, 2019
2013年までは日本陸上競技連盟会長を務めていたのですが、こちらは父の河野一郎さんや叔父の河野謙三さんも歴任していました。母校と陸上競技への愛で溢れていますね。
移植されたのは肝臓!どんな病気?[画像あり]
身体の異変と病気の発覚
洋平さんは1976年頃から身体に異常を覚えるようになり、重度の肝機能障害と医者に診断されました。こちらは後にC型肝炎と発覚し、1997年にアメリカで肝臓の生体検査を受けた結果、肝硬変に近い状態になっていることが判明しました。
すぐさま治療を始めるのですが、その甲斐なく2000年には黄疸が現れたり肝性脳症による意識障害に苛まれ、そして2001年には恐れていた肝硬変にまで悪化してしまいました。
- C型肝炎ウイルス(HCV)の感染が原因で起きる肝炎のことで、大半が血液感染
- 30~40%は自然に症状が治まり、症状が軽く済むことが多いが約70%は慢性化し、肝細胞が死滅することによって肝臓が硬くなってしまう肝硬変に進む可能性が高くなる
- 肝硬変にまで進むと、肝臓がんの他様々な合併症を引き起こすこともあり、死亡する可能性もある
子供からの移植の申し出、それぞれの思い
洋平さんには実は娘も一人居るのですが、60代半ばの頃、日に日に弱っていく洋平さんに娘さんが「私の肝臓をあげる」と肝移植を申し出たのです。
しかし自分の病気のために娘の腹を切らせるなんてとんでもないと断りました。その後、娘さんと同じように自らドナーになることを考えていた太郎さんからも申し出があったそうです。
実は洋平さんの妻、武子さんは子宮がんによって1995年に亡くなっています。気付いた時には既に手遅れで、何もしてあげられなかったと家族全員が強く後悔していたのです。
祖父一郎、母武子の法事と墓参り。小田原の成願寺。
— 河野太郎 (@konotarogomame) July 1, 2012
息子である太郎さんに「おやじにできる限りのことをしたい」と告げられ、何度も口論になりながらも最終的に太郎さんの熱意に押され、肝移植を決断しました。
肝移植は患者の肝臓を全摘出し、ドナーの肝臓の一部を移植するという手術です。2002年4月16日から翌未明にかけて信州大学医学部附属病院にて16時間もの大手術を行い、無事に成功しました。
洋平さんは後に、麻酔から覚めた時かすれた声が普通に出たのが何より嬉しかったと語っています。C型肝炎は大半が血液で感染するウイルスですが、洋平さんの場合感染経路は不明とのことです。
因みに肝臓には強い再生能力があり、移植されたのは一部にも関わらず通常の大きさにまで再生したのだそうです。人間の身体は神秘に満ちていますね。
私にはまだまだ
やることが沢山ある
息子からの贈り物
「生体肝移植」全告白
衆議院議長・河野洋平さんhttps://t.co/TnFnEqULQh河野太郎氏は
暴君太郎、恫喝太郎
そんなイメージが先行しているがとても親思いという側面がある
2002年の4月
自らの肝臓を提供し
生体肝移植で
父の命を救ったのだ— 丘田 英徳 (@okada_2019) September 30, 2021
病に伏した母に何もできなかったことを悔やみ、父を守るため移植を申し出るこども達、死ぬかもしれないにも関わらず健康な人間の腹を開くわけにはいかないと断る父。
確かに親からしたら子供の臓器を移植するなんて、と思うかもしれませんが、互いが互いを思いやり、助けあう素晴らしい家族ですね。手術を乗り越え、より一層絆が深まったのではないでしょうか。
まとめ
- 河野洋平は現在政界を引退し、母校での講義等を行っている
- C型肝炎に感染し、肝硬変へと悪化してしまい、一時は危険な状態に陥る
- 息子である河野太郎により肝移植を受けたことで一命を取り留める
息子から肝移植を受けた河野洋平さん。この決断は2人だけでなく、多くの人にとって良い結果となったようですね。現在もお元気そうで本当に良かったです。
河野太郎さんは忙しい時期かと思いますが、これからも家族仲良く過ごしてほしいですね。