2021年9月29日に自民党総裁選が行われ、見事に第27代総裁に選ばれました。今後の政策に注目が集まっています。そんな中で岸田文雄総理の奥様である裕子夫人も、ひそかに話題になっています。
美人で英語が堪能な裕子夫人の若い頃の写真や、経歴・馴れ初めなどをご紹介していきたいと思います。
目次
岸田文雄夫婦プロフィール
岸田文雄
- 名前 岸田文雄(きしだ ふみお)
- 生年月日 1957年7月29日
- 年齢 64歳(2021年10月現在)
- 出身地 東京都(父親の実家が広島県)
- 最終学歴 早稲田大学法学部卒業
- 党派/当選回数 自民党/衆議院9回
岸田裕子夫人
- 名前 岸田裕子(きしだ ゆうこ)(旧姓:和田)
- 生年月日 1964年8月15日
- 年齢 57歳(2021月10月現在)
- 出身地 広島県三次市
- 最終学歴 東京女子大学
裕子夫人の実家は、もともと酒造業や銀行業を三次市で営まれていた旧家でした。
旧家(きゅうけ)
その地域や場所において古くからかなりの社会的地位を持っている由緒ある家柄
現在は裕子夫人のお父さんが、1969年4月に「三次開発興行株式会社」を設立し代表取締役社長として、ビルやマンションなどの不動産業をされています。
つまり裕子夫人は、格式高いお家柄の社長令嬢だったんですね。
裕子夫人の学歴・経歴
小学校
広島県三次市立十日市小学校に通われています。同級生だった三次商工会議所会頭の佐藤明寛さんが裕子夫人の当時の様子を「おとなし目で、勉強はよくできた」とコメントしています。
6年生の時も児童役員になり「回りのことによく気づき、そっと横から支えるタイプ」とも話しています。
ファーストレディーとして岸田総理をそっと支える様子は、幼少期からきているところがうかがえますね。
中学校
出身中学校は、広島女学院中学です。こちらの学校は中高一貫の私立学校で、裕子夫人は中学受験をされています。小学生のうちに一生懸命に勉強されたのでしょうね。
広島女学院中学高等学校は明治19年に創立された伝統ある学校で、キリスト教が土台の教育方針です。
なんと在籍している生徒さんに中には、「お嬢様」が多いと有名な女子校です。
高校
中高一貫であるため、高校は広島女学院高等学校に進学されています。6年間寮生活をしながら、水泳部に所属しており日々練習に励んでいました。
広島女学院は広島県内屈指の進学校で、特に英語教育が非常に力を入れています。在学中の高校3年生における英検2級の取得率がなんと80%を超える脅威の数字もっています。
かなり英語教育に熱心なのが、わかりますね。毎年、東京大学や京都大学に合格者を輩出している実績があります。
大学
高校卒業後、東京女子大学へ進学されています。東京女子大の御三家(津田塾大学・日本女子大学・東京女子大学)の1つで知名度も高い大学ですね。
東京女子大学は英語教育においてのサポートが充実しており、裕子夫人は中学・高校と培った英語力を大学在学中に、さらに磨きをかけています。
以前の東京女子大学はMARCHと入試の難易度が、ほぼ同じくらいでした。当時は難関女子大として有名でしたね。
ちなみに同大学を卒業した有名芸能人には、多部未華子さんや高橋真麻さんがいらっしゃいます。
MARCHとは関東地方にキャンパスがある難関私立大学5校の総称
- M…明治大学
- A…青山学院大学
- R…立教大学
- C…中央大学
- H…法政大学
社会人としての経歴
大学卒業後は、広島県安芸郡府中町に本社がある大手自動車メーカーの「マツダ株式会社」に1986年に就職しています。
入社してすぐに、当時の副社長である和田淑弘さんの秘書として抜擢されているんですね。
大学卒業してすぐの新人がいきなり副社長の秘書になるなんて、裕子夫人がどれだけ優秀な人材だったかがわかりますね。
ちなみに、裕子夫人が入社して5年後に和田淑弘さんは同社8代目の社長に就任しています。
和田淑弘
- 1955年 住友銀行(現 三井住友銀行)入行
- 1982年 同行 取締役に就任
- 1983年 マツダ株式会社の専務に就任
- 1991年 副社長などを歴任して8代目社長に就任
マツダに入社して2年後に岸田文雄さんと出会い、のちに結婚退職することになります。馴れ初めについては後でじっくりお伝えしますね。
岸田文雄さんが2012~2017年にかけて外務大臣を務めて、2016年4月には「G7広島外相会合」が行われました。
同時に裕子夫人は「G7広島外相会合配偶者プログラム」を自ら主催しています。
会合に出席した各国の外相夫人をホスト国として裕子夫人は厳島神社などに案内したり、平和記念公園の原爆慰霊碑に一緒に花を手向け、原爆資料館の見学したりしています。
また各国の駐日大使夫人との茶話会などを主催するほど、抜群の英語力を活かして精力的に外交面をサポートしています。
G7(ジーセブン)
英語でGroup of Seven(グループオブセブン)の略でカナダ、フランス、ドイツ、イタリア、日本、英国、米国の先進国7ヵ国で構成されます。
裕子夫人の若い頃が美人
岸田文雄さんが1993年に衆議院議員初当選したときの写真ですね。裕子夫人がちょうど28歳頃になりますね。
スラッとして白いスーツがよくお似合いです。抱っこしているのは、当時2歳ころの長男ですね。若いころから、すごく綺麗ですよね。
↓今回、自民党総裁選を戦ったライバル河野さんはこんな方↓
岸田文雄首相との馴れ初め
裕子夫人がマツダに入社して2年後の1988年に岸田文雄さんとお見合い結婚をしています。
当時、裕子夫人は24歳。岸田文雄さんは31歳ですね。
衆議院の議員であった父の秘書として数々の企業の挨拶回りをしていたとき、岸田文雄さんが裕子さんに「一目惚れ」したのがきっかけでした。
その後、仲居さんの家でお見合いの場が設けられ、とても和気あいあいとしたアットホームな様子だったようです。このお見合いがきっかけで交際が始まりました。
初デートは広島県にある「マハラジャ」だったようですね。なんかアラビアンな香りが漂ってきますね。マハラジャと聞いてピーンとこない方もいるかと思います。
マハラジャとは80年代、日本のバブル時代に一世を風靡したディスコの名前なんです。今で言う「クラブ」ですね。どちらがお誘いしたのでしょうか。やっぱり文雄さんでしょうかね。
岸田文雄さんと裕子さんが「ディ、ディスコ⁉」2人ともおっとりとした穏やかな性格みたいですが、どんな曲で踊っていたのでしょうかね。ちょっと気になりますね。
そんな初デートを無事終え、幾度もデートを重ねたのちに岸田文雄さんからプロポーズされ、めでたくゴールインとなりました。
↓総理になった岸田文雄さんの持ち物、気になりますね~↓
まとめ
- 若い頃もすごく美人
- 社長令嬢のお嬢様
- 中学校から大学まで女子校
- 岸田文雄さんの一目惚れでお見合い結婚
- 初デートはディスコの「マハラジャ」
いかがでしょうか。今話題の岸田文雄総理、それを陰ながら支える裕子夫人。才色兼備で英語も堪能な奥様がいるのは羨ましいですね。
奥様のためにも、国民のためにも、これからの日本がよくなるように期待したいですね。最後まで読んでいただいてありがとうございました。